罪と罰(ドフトエフスキー)感想

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取っ付きやすさ:
トリック:
ストーリー:

ドストエフスキー著、工藤精一郎訳の『罪と罰』を読了。部屋の掃除してたら大学生の時に友人に貰ったものが発見されたので、久しぶりに読んでみた。上下巻で1000ページほどの作品で読むのに時間がかかってしまったが、遂に読破。流石に一日で読みきるのは無理だった。

一応ミステリーというカテゴライズはされていないような気なするので、トリックのとこは0点にしてしまったけど、考えさせられる、と言う部分においてはではミステリーと同じなんじゃないだろうか。

書籍情報

           
タイトル罪と罰 上
著者ドストエフスキー
出版社新潮社
発売日2010年06月
商品説明鋭敏な頭脳をもつ貧しい大学生ラスコーリニコフは、一つの微細な罪悪は百の善行に償われるという理論のもとに、強欲非道な高利貸の老婆を殺害し、その財産を有効に転用しようと企てるが、偶然その場に来合せたその妹まで殺してしまう。この予期しなかった第二の殺人が、ラスコーリニコフの心に重くのしかかり、彼は罪の意識におびえるみじめな自分を発見しなければならなかった。
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目次

作品紹介

この作品を一言で紹介するならば「殺人を犯した青年が心身共に追い詰められていく、道徳的ジレンマを描いた作品」といったところだろう。

しかしながら、その一言では語れない魅力があるのが本書『罪と罰』だ。

感想(少しネタバレあり)

ストーリーの中心にあるのが殺人を犯した男の苦しみであることに間違いはない。

だが、その男の唯一と言える友人とのストーリー、家族とのストーリー、ある女性とのストーリーと、主人公ラスコーリニコフと関わる人物についての描写も濃く描かれており、なんとも捉えづらい。

言い換えればそれだけ自由のある作品なのだと思う。世界中の様々な人間に本書が親しまれている理由は、この自由さにあるのだろうか。

ここで自分が注目して欲しい本作の見所を紹介したい。

作中でこんな台詞がある。

「僕は婆さんじゃなく、自分を殺したんだよ」

これは罪を犯した主人公ラスコーリニコフが、その告白するシーンである人物に言った言葉だ。老婆を殺害することで、自分の心も死んでしまったということだろう。

だが、ここで見て欲しいのはこの言葉の真意では無く「主人公が最初に事実を打ち明けた人物は誰であるか」だ。

もし『罪と罰』を手に取ることがあったら、是非この点を確認してもらいたい。きっと何か思うところがあるはずだから。

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